人生実験室

心にうつりゆくよしなしごとを

普通の泣き方が思い出せない話

タイトルに「思い出せない」なんて付けているけど、普通がわからない可能性があることを頭に浮かべながら書き進めることにする。これは脳内の垂れ流しをしているだけで、読みものとは言えない。でも、誰かに正解を教えてもらいたいから公開する。

 

 

 

 

 

久しぶりに休みができた。毎日授業と仕事しかしていない、そして眠れない一人の夜を過ごす、これの繰り返し。去年自分が壊れたとき、眠れなくなるくらい大泣きした。それも毎晩。異常だ。今はありがたいことに家にいることが良いとされているので、その通り正しく家にいるようにしている。ちなみに仕事は在宅で行っているので、外出する必要はない。生活に恵まれており、程よく忙しさが増してきたところでの休暇。頭でも休ませようかと思ったが、何もない方が人間頭が働くのだろうか。考えが浮かんで止まない。どうにか止めたいが止められない。仕方ないな~と思いながら、大人しく頭に浮かぶことを咀嚼していた。今こうして書いているのも、今日浮かんだことを記録するためである。

 

最近泣いていないことに気づいた。ドラマや音楽に感動したとき、彼の優しさに触れたとき、、、、数えられるくらいの回数しかない。逆にストレスを溜め込みそうだ。

 

私の昔を知らない人は驚くかもしれないが、涙を流すのが怖くて恥ずかしいことだとずっと思っていた。だから、親や友達は当然のこと、怪我をして保健室に行ったときも我慢をして、ひとりになったときに泣いた。悲しいことがあればいつも、絶対一人になれて声が漏れにくいお風呂でひっそり泣いた。おかげで泣かない子、いつも笑顔な子っていう外面の私をつくることが出来た。これは私が望んていた私だったから、正直嬉しかった。

 

中学2年生のとき、一番仲良くしていた女の子がすごくよく泣く子だった。心が綺麗で、嬉しくても悲しくても、私のつらい話を聞いてくれるときも泣いていた。その子を見て、私は泣いていいんだと思えた。ある時期を境に、学校でよく泣くようになった。学校では泣いて、家では変わらず隠れて泣いた。ここで思い出したのだが、家では父親に暴力を振るわれるたびに泣いていたな。暴力の話はどうでも良いだろうから、ここでは深く触れない。

 

それ以来、泣き虫な私が出来上がった。耐えようとしても耐えられなくなった、という方が正しいかもしれない。高校ではとにかく泣いた。PMSが酷かったせいもあるが、数学の授業中に泣いて困らせたり、恩師の前で泣いたことも多かった。3年間ずっとクラスメイトが苦手で、怖くて教室にいたくないこともあって不登校になりかけたのを思い出す。高校では大切な友人ができて、私が苦しくて泣いているときに支えてくれた。今でもそういう中でいられてかなり嬉しい。ここで私の泣き虫に拍車をかけたのが、元彼である。こいつは私を泣かせる天才で、夜中通話しては泣き、デートの食事中に泣き、二人きりのときに迫られて泣いていたら行為を強要されてまた泣いた。この人のせいで私の涙腺は大崩壊した。毎晩通話するのが恒例になりかけていた大学1年の頃は、当然のようにいつも泣いた。瞼を腫らし十分に眠れない状態で大学へ通う日も数えきれないほどある。今思えば異常だが、当時の私は心も体も疲弊しきってマイナス思考になり、悪い自分を変えるために支えてくれているのだと思い込んでいた。おかげで悪循環がうまれて、私は精神をおかしくした。今は正直こいつを憎むというより、私の性格を憎んでいる。大学に入ってからはとにかく精神的にボロボロで、校舎のトイレ、登下校時、近所の公園など、多くの先輩・友人の前や一人の時間で泣いた。

 

 

こうして感情の動きを書き出してみても、「涙を流す箇所」の正解はどこかいまいちわからない。適した大切な場面では涙を堪えられるようになりたいが、涙を止めたいわけではない。変に涙腺のストッパーがかかっているせいで、一度涙を流すと止められない状態になりつつある。正直困る。

 

誰か正しい泣き方を知っている人がいれば、教えてほしい。

楽しいことばかりの人生

去年の誕生日ブログを読んだが、他人すぎる。本当に私か、これ。1年で人はこんなにも変わるものなのか。。

 

みなさんいかがお過ごしですか?私は誕生日を迎え、21歳になりました。20歳の1年間はかなりつらくて、失せない希死念慮と戦いながら生きてきた。思い描いていたようにはいかなかったけれど、どうにか年を重ねることが出来たので良かったとか言っておこう。産まれた季節である春はたくさんの綺麗なお花が咲いたり、環境や状況が変化する節目の時期だったり、とっても素敵で大好きな季節。つらいとか、うれしいとか、感情の揺れが私はすごく好き。その気持ちの揺れ動きが花の動きと似ているような感じがして、心があたたかくなる。何気ない瞬間やちいさな出来事の尊さが大好きで、これからもずっと大切にしていきたい。

 

今年はたくさん良いことがあるといいな~なんて気持ちを込めて、今年の誕生日ブログは好きなもののお話をしようかな。

 

大好きで憧れている女性の話

本当に大好きなんですよ。吉澤嘉代子さん。が!!!!!もう私と親しい間柄の人は耳が取れるくらい聞いているかもしれないけれど、本当に大好きなんです。歌声も生み出す言葉も性格も声も容姿も趣味も。すべてが大好きで、私もできることならあれになりたい。感性や女の子らしさが特に大好きで、私が思い描く理想の女の子!っていう感じがたまらなく惹かれる。今年はできるだけ理想に近づけるよう頑張りたいな!彼女の曲は歌詞の世界観や歌い方に特徴があって、1曲聴く=1つ物語を読む みたいな感覚になる。それぞれの世界の主人公が、彼女の歌声や言葉で生きているような気がする。正直私の語彙や説明力では魅力を紹介できないので、聴いてみてほしい。

 

寺山修司がだ~いすき!

これも親しい人は飽きるほど聞いたと思うんだけど、私は寺山修司を愛しています。言葉の錬金術師と呼ばれるほどすばらしい言葉を生み出す天才!私が人生において最も大事にしたいのは気持ちと言葉で、それらを私の理想通り忠実に表現しているのは寺山修司だと思う。私の生きる支えや考え方の根底には寺山修司がある。アングラ・前衛芸術を好むようになったのも寺山の影響。何度か話にあげたけど、高校教材で寺山の作品と出会って、独特な世界観に引き込まれてしまった。それ以来、地元の図書館や高校図書館にある寺山の書籍を読み漁った。読めば読むほど私の人生観を改めてくれたり、物事の捉え方を増やしてくれたり、つらいときは慰めてくれたり。一緒に生きているといっても過言ではないくらい、多大な影響を受けて私が出来上がった。

 

信頼できるひと

信頼できる人が大好き。去年は本当に苦しい年で、離れたり離れられたりが多かった。人とかかわることがこわくなってしまった時期があって、そこでかかわりを最小限まで減らした。それでも私が苦しいときに笑わせてくれた人。相談しても否定をしなかった人。そばにいてくれた人。たくさんの人が支えてくれて、本当にうれしかった。ありがとう。これからは私があなたを支えたい。一緒に生きようね。

 

音楽

一時期音楽を聴けなかった。楽しいと思えなかった。音楽と共に生きてきたから、すごくつらい時期だった。今は聴けるようになって、たくさんの音楽を聴いている。サークルでも会長になり、気持ちや環境的にも変化した今だからこそ出来る音楽を楽しみたい。歌うのをやめてしまった人や、音楽から離れていく人はいるけれど、私は私の音楽を続けていきたい。

一部の人には報告したけど、ギターを購入しました。ずっとやりたかった!なりたい私になるために、進み続けるぞ~!

 

 

 

私の好きはこれだけじゃないけど、全部書いてしまうと好きが少なく感じて悲しくなってしまうから、もうおしまい!私にもあなたにも、たくさんの良いことがある1年になったらいいな~!

言葉

きっかけとこれから

 

 

高校2年生の春、国語の授業で寺山修司の『ポケットに名言を』の「言葉を友人に持とう 私にとって名言とは何であったか」を扱った。

本文の後にある学習の手引きで「言葉を友人に持」つとはどういうことか、と問いがあった。教科書のメモ書きには「一言でいうと、現実を変革する可能性に賭けるため。筆者は詩人で、何をするにしても言葉はつきまとう存在だから、それなら友人のほうがいい。」と書かれていた。

なんだか悲しくなった。これは先生の言葉か、私の言葉か。どちらにせよ、この言葉を選んで書いたのは私だ。詩人でなくても、生きている中で言葉は必要不可欠。今の私なら何て答えるかな、などと考え始めて、既に1週間以上経っている。

 

最近、この本を何度も読み返しては考え込んでいる。きっかけは、距離が少し近い人から、私の好きな言葉を悪く言われたこと。それ以来ずっと「私にとっての言葉って何だろう」と思考を巡らせているわけですが、綺麗に答えがでない。

こういう時に思い出すのが、大學の某教授の話。

「国語が得意な人は、人一倍言葉に対して敏感。少しのことで傷ついたりする。」

さっきあげた書にも「言葉は凶器であり、薬でもある。」みたいなことが書かれている。

 

あなたにとって、言葉は何ですか?

どういう目的で使いますか?意思疎通のため、とひとことだけで括りますか?

それ以上の何かを求めますか?

 

 

 

 

 

 

 

寺山修司と恩師(上記の授業を担当してくれた先生)のおかげで、私は今、文学部日本文学科で日本語学を中心に学んでいる。

 

 

国語が大嫌いだった。学ぶ必要なんてないとずっと思っていた。

国語の勉強なんて無駄、といつも言いながら真面目に勉強せず、授業は言われた通りに板書を写して終わり。でも、母の影響で本は少しだけ読んでいた。

 

 

恩師は3年間担任であり、国語の授業も担当してくれた。第一志望の高校に落ちて仕方なく併願校に入学した私は、完全にやる気を喪失していた。クラスのオリエンテーションで恩師が「国語はやれば出来るんですよ。やらないと出来ないけど。」と話していた。なぜかその時少しだけ「間抜けに見える先生だけど、ちょっとだけお話してみたいな」と思い、その日のうちに恩師のもとへ行って話をした。「先生、私、いままで国語を勉強してきませんでした。どうやって勉強すればいいのか全く分かりません。教えてください。」

それ以来先生をたくさん困らせた。授業内外でたくさん質問したし、求めている以上にこたえてくれた。おかげで国語を専門に学ぼうと思えるほどの学力はついた。

 

昔から言葉を大事にしたい気持ちはあったが、日本語学を専攻する気はなかった。日本語学に興味を持てたのも恩師のおかげだ。

昔から話すことが苦手だった。人前で話すのも苦手で、幼馴染曰く「幼稚園の頃は『うん!』しか言わない子だった」らしい。よくここまで話せるようになったな、と我ながら感心している。中学生の頃から場面に応じて適切な表現をしたいと思っていた。それ以来、言葉には常に敏感になっていた。そう言いながらなんだかんだで普通に話せているだろうと思い込んでいたから、特別なことは何もしてこなかったし、勉強も疎かにしていた。

 

恩師は授業中、とにかく雑談をする人だった。授業に全く触れない時間も多かった。進学校であれば、こんな授業は展開できなかっただろうな。

「『私は』と『私が』の違いって知ってる?」

確か、「読んだ本にこんなことが書いてあって~」と話を続けていたような気がする。

勉強から逃げてきた私には衝撃的だった。

日本語について全く理解できていない事実と、奥が深いことと。

面談で「この話がきっかけで日本語の文法に興味を持ちました。」と伝えたら、井上ひさしの『私家版 日本語文法』をおすすめしてくれた。この本が本当に面白くて。

もっと知りたい!知らなきゃ!の延長で今の学科にいる。

 

 

 

 

恩師のお話をしたから、次は寺山のお話。

 

 

冒頭にあげた作品がきっかけで、文学そのものに興味を持った。

言葉をもっと学びたい気持ちが強まったし、多くの本を読むようになった。

寺山修司の世界は私の未知がたくさん広がっていて、知れば知るほど興奮が止まらない。

『ポケットに名言を』の意味が、ポケットに名言を入れて持ち運べるといいね~的なニュアンスだった気がする。高校時代はこの本をずっと通学カバンのポケットにしまい、何度も読み返した。読むたびに言葉がどんどん体中を流れていくような感覚がした。

 

私の漠然とした思いを、寺山が言葉にして表してくれたんじゃないか。と、今は思う。

 

よく「寺山の作品は他人のパクリだ」などと言われている。確かにそう捉えられる部分は多い。

だから何だ。

私は、他人の良いとこどりをして自分のものにしてしまえば、「自分らしさ」になると信じている(そう言い聞かせている部分は少なからずある)。

他人の良いところを良しとみることができる人間なら、それにプラスの感情を抱き、憧れに繋がることもあるのではないか。私もあなたも完璧な人間じゃないんだから、そりゃあ自分のものにしたくなるでしょ、と思うわけです。

素敵な部分を独り占めするなんて、ずるい。

 

 

寺山の話はまた後日たんまりするとして……

 

私は本を少ししか読んでこなかった。国語は熱心に取り組まなかった。でも、何かを常に考えていて、自分の脳内を言語化してくれたのが寺山修司だった。

もっと彼を知りたい。知ることで自分を確立できる気がする。

だから文学をやろうと思った。

 

 

ここまでが、今の学科・専攻まで来た理由。

 

今後どうしたいのか、何を目指しているのかについても書きたい。

 

 

 

 

一言でいうと、魔法使いならぬ、言葉使いになりたい。

恩師や寺山、たくさんの人の「言葉」に何度も救われてきた。

次は私が誰かを救いたい。

『ポケットに名言を』にある通り、薬や凶器のように言葉を扱いたい。

そのためには、多くの経験や知識を得て、場面や人に合わせて使い分けられるようにならないといけない。

自分を他人化するには、一つの人生だと足りない。だから、本を読み、話を聞く。

そもそも自分の考え方が嫌いで、いつも同じ考え方や言葉選びしかできないような気が、今でもする。それを改善するには自分以外のものが必要。

 

私の言葉に対する思いは中途半端なものではない。故に今持ち合わせている言葉で思考をすべて表現、説明ができない。

だから、こうして書くことで「今の自分」を記録しようと考えた。

今年の年末やいつかくる卒業時に、ここからどれくらい変化、成長したかもわかると思うしね。

 

 

 

 

よければ、あなたにとって言葉は何か、教えてください。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

まわりの言葉

今日帰りの電車で降車した時のアナウンスが忘れられなくて、追記するに至った。

「本日もご苦労様でした。この先もお気をつけてお帰りください。」

こんな内容だった、ような、、。

仕事だから仕方なく発言したとしても、とてもうれしい声かけだったな~と思うと同時に、車掌さんこそお疲れ様です、という気持ちになった。

みんな誰かに支えられて、誰かを支えて生きている。

自分は何の役にも立てていない、と思っているかもしれない。誰かのためになりたい、優しい心の持ち主であるあなたは特に、自分の力に気づいていない。

 

前半でも話したが、言葉ひとつで人は救われたり傷つけられたりしている。

何が怖いって、それを話者が気づけるのに限界があること。

その怖さを伝えるために今文字にしているんじゃなくて……

(また今度いろいろお話出来たらしようかな)

 

私はあなたの言葉に救われているんだよって言いたい。これを読んでくれているあなたです。読んでくれていないあなたにも伝えたいけど、今はとりあえずネット世界に放り投げることにして、今度直接伝えます。

 

だから、自分に何もないとか、不要な存在だとか思わないでほしい。

私はあなたを必要としているし、私以外にも救われている人はきっといるはず。

優しいあなたは、これからも誰かのためになれるし、何者かにもなれると思う。けど、この言葉に自信と責任は持てません。ごめんなさい。

 

 

またきっかけがあれば追記するのでよろしくお願いします~

 

 

 

 

最近の私

日記みたいな

 

 

 

 

昨日も授業を受けられなかった。正確に言うと、1/4科目しか受けられなかった。出席回数的にピンチなことは自覚している・・・が、授業に出られない。朝は貧血で立てず、そのまま二度寝して1限に間に合わなかった。2限は必要なプリントを忘れて受けられず。3限の時間は虚無になり、大學を出て半泣きになりながらとある場所へ。1人で座りながら何をすることも無くぼーっとしていた。気づいたら4限開始の時間。大好きな先輩がいたから、大學に戻って某席へ。お腹が空いていたから美味しいカップ麺くんを食べ、既に4欠で落としたら留年確定の科目の授業を受けた。その後図書館で不足資料を印刷し直帰。

 

日々こんな感じ。そのくせ、仕事から帰ってきた母の顔を見ると苦しくなる。こんな娘でごめんなさい、と思う。自分勝手で自由に生きて、学費を払わせてコレだ。もう、死んでもいいかな?……出席頑張る!ではなく死を選ぶあたり、ゴミ人間だと思う。学習面だけでなく、仕事も思うようにできないし、体調も優れない。何しているんだろう。ただ漠然と生きて、毎日を浪費している。前までは「これじゃダメだ、私はこうなりたいんだ!」と思えたけど、今は全く思えない。そもそも、頭で何かを考えることが難しい。考えてはいるんだけれど、頭の表面しか動かない感じがする。動かないと言うより、動かせない。あ、あと、また本が読めなくなった。文字が頭に入ってこない。大好きな音楽はいつも通り聴いているけれど、どの曲もなんだかピンとこない。いつもその時々の気分で聴きたい曲ってのがあるんだけれど、最近はそれがない。だから、ライブでやる曲か、適当に選んだ曲を聴いている。どれもなんだかしっくりこない。

 

他人の表情が全部良く見えなくなってきた。視界が曇っている等ではなく、マイナスな表情に見える。つまらない、面白くない、みたいに思っているのかな?と受け取ってしまう。大好きな人たちに対してもそう。みんなごめんね。みんなのこと大好きなんだけど、心がついてこない。なんでだろうな・・・。

 

置かれた空間の中で、自身が圧倒的弱者である感覚が拭えない。例えば、電車や教室内。電車ではいつも謝っている気がする。満員電車だと特に。教室内では自分の馬鹿がバレたらどうしよう、しか考えられない。もうバレてるけど。当てられたくないし見られたくない。誰も私を見ないで欲しい。

 

話している途中でよくつっかえる。思ったように話せない。言葉が出てこない。言いたい気持ち・思考はあるのに、そこから発言に至るまでのどこかで引っかかる。脳や感情の機能がバグっているので、話しながら涙が出たりもする。それは小学生からなのでもう諦めてるけど。別に悲しいことがあった訳では無く、生理的に?出てしまう。

 

あとはなんだろうな。上記にある通り、授業に出ていない。出られない。だからその分余裕がうまれるはずなのに、全く余裕が無い。むしろ疲労困憊。つらい。つかれた。優しいあなたは「つらかったら話してね」って言ってくれるけど、私の何倍もがんばっているあなたに、私のがんばれない部分を見せるのは恥だし、なんだこいつ?と思われるだけな気がする。情けない。申し訳ない。信頼していないわけでなく、ただただ申し訳ない。私ががんばれていないだけなのに。

 

睡眠の質もかなり低下した。夢ばかりみる。夜中に目が覚める。寝ても疲れが取れない。前よりも睡眠時間を増やしたはずなのに、いつも眠い。

 

 

あとはなんだろうなー。

はたち

「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」

 

 

 

 

ラジオの企画で「未来の自分に手紙を書こう」というものがあった。往復はがきに手紙を書き、時期が経てばこちらに返ってくる仕組みだ。

中学1年の春頃に、書いて送った記憶がある。その手紙が返ってくるのは、ちょうど20歳になるこの時期だったような。本当に返ってくるのだろうか、、、信用はしていない。

実は、数年経った今でも内容を覚えている。

 

 

『〇〇ちゃんと××ちゃんとわたし。3人でバンドをやってますか?』

 

 

 

当時の私へ

 

〇〇ちゃんとはバンドをやっていないよ。

なんなら連絡もほとんどとってない。

××ちゃんとは冬頃ライブに出るよ。

それっきりだけどね。

でも、大学に入って、サークルでたくさんの友達とバンドを組んでライブに出てるよ。

悩みに悩んで選んだベースが、今でも相棒です。

あの頃横目で見て憧れていた大学には入れなかった。でも、大して好きでもない国語を好きになって、それを研究する大学に入ったよ。

友達は沢山できるから、ひとりじゃないよ。

 

                                                  あかねより

 

 

20年間生きているだけで勝手に「大人」の扱いをされるなんて、生涯かけても理解出来ない。

いつまでもこどもでいたい。

幼稚園の頃から、将来の夢は猫だった。けど、人間の大人になってしまった。

将来の夢なんて叶わない。

なりたいものにはなれない。

 

 

 

 

 

冒頭文、なぜポールニザンのアデンアラビア?と思うかもしれない。

私は斉藤壮馬という声優が好きで、彼が二十何歳かの誕生日の時更新したブログに、同じ引用(?)があった。本を読むのが好きではなかったが、好きな人と同じことはしたかったので、滅多に行かない図書館に行き、衝動的に読んだ。内容が全く理解出来なかった。

実は、今でもよくわからない。永遠にこどもでいたい、そういう気持ちしか残らない。

 

 

年を重ねるにつれて、「生まれた時から持ち合わせている障害」が発覚していく。

私は普通の人間になりたい。

いつもいつも、普通の人間になりたいと思い続けている。この文章を打つ今も「普通の人間」に憧れている。

「変わってるよね!」なんてよく言われてきた。何が変わってる?私は普通じゃない?何が普通じゃないの?その普通は誰が決めたの?普通って何?

やっぱり憧れていた「普通」にはなれない。

なりたいものにはなれない。

 

 

 

 

わたしは

世界の涯てが

自分自身の夢のなかにしかないことを

知っていたのだ

 

 

 

 

20歳になりました。

目標は初心にかえる、です。🐸

こんな私を愛してください。